終戦記念日
戦後生まれなので
実際の戦争記憶はありませんが
今頃思い出すのは
夏の暑い日
住宅の営業で
仕事で一軒、一軒住宅街を訪問してたとき。
いわゆる「飛込み」っていう業務。
まだ、今の様に訪問詐欺など
頻繁になかった頃でしたが
やっぱり
門前払いが多く
話しなど聞いてもらえる事は
まれな仕事でした。
その日も
暑い日差しと蝉の声の中
郡山でも古くからある住宅地
訪問重ねていると
一軒のお宅で
「まぁ、暑いので上がりなさい」
と家に向かえ入れてくれました。
冷たい麦茶を出してくれて。
ご主人は
身体を壊してるらしく
平日の日中にご在宅。
「そろそろ建替えたいんだけど…」
家の方は難しいそうでした。
世間話しから
ご主人が子供だった頃の
終戦記念日の話し
そして
郡山の空襲
郡山も意外な事に
軍事工場があったため空襲を受けていました。
そしてご主人の話しが
自分の記憶のように…。
その日のように
蒸し暑い日
当時、
いわき沖に停泊していたアメリカ軍の軍艦から
2機のグラマンが
郡山上空へ飛来
郡山近郊にある基地から迎撃、
それは
終戦間際
戦闘機も人材も
地方都市に残されているわけも無く
練習生が練習機で向かった
決死の反撃だったのでしょう
2機のグラマンが
空中で
ライオンがインパラの子供をしとめるように
戦闘にならない
まるで狩りのような光景が…。
一発の銃弾が機体にあたり
白煙をあげる
2機のグラマンが十字を切って旋回し
とどめの一撃を打ち込む瞬間
練習機は
迎撃というよりも
正に盾
悪く言うと
グラマンの肩慣らしの標的にしかならなったのでは…。
たぶん練習生ですから
17、18歳くらい
絶対的な戦闘能力に欠ける練習機で必死に
迎え撃ったのでしょうが。
見守る子供の頃のご主人
生死をかけた戦いに
必死の声援をおくる
地上での応援も
あきらめたその時
視界にもう一機の
戦闘機姿が
空中戦の高度よりも高い位置から
急降下し
2機グラマンと練習機との間を
すり抜ける
ちょうど太陽を背に
現れた戦闘機にグラマンも
不意をつかれバランスを失い
練習機への攻撃をはずし
旋回、
新たな戦闘機も急降下から
すぐに体勢を変え
一機のグラマンの後ろに回りこむ
白煙を上げて落ちるグラマン
戦闘能力の高い
紫電改でした。
Wikipediaでも
紫電改はやはり
優秀な操縦士が乗っていたとの事で
いとも簡単に
グラマンをしとめてしまうのもうなずけます。
傷を負った練習機は離脱し
紫電改は
なおも2機目のグラマンへの攻撃を開始
低空で降り払おうと必死に蛇行を続けるグラマンを
追う紫電改
ご主人のすぐ近く
高速で通り過ぎる瞬間
歓喜とともに手を振るご主人は
操縦士と目が合ったような気がしたそうです。
攻撃の手を緩める紫電改
その空きに
太平洋がある東の空に
逃げ去ろうとグラマン
紫電改は一息つくように旋回し
再度、グラマンを追いかけるように
東の空へ
その後姿で
機体を左右に振り
まるで
「応援ありがとう、さようなら」
というように。
東の空へグラマンを追い
消えて行ったとの事です。
市街地上空での戦闘を控えたのでしょう。
そして
なぜ、郡山の上空に紫電改が現れたのかも
不明ですが。
仕事中にも関わらず
ご主人の話しに聞き入ってしまい
実は
当時の敵うはず無い敵に
若い命を懸けて
人々を守るため
立ち向かう操縦士の気持ちと
たぶん通りがかりであろうけど
同じ思いで戦う
紫電改の操縦士の気持ち
感激に涙してしまいました。
最近、別の人から
たぶんこの空中戦であろう
墜落したグラマンの
操縦士のその後を聞くと
やはり
戦争は有ってはならぬ
悲しい事であると
あらためて感じます。
夏の暑い日
それこそ
戦中からある様な
家に
訪問させていただいた時の話しでした